中世
平安時代には日本独自の国風文化が発展した。 武器もこの時期に日本独自の発展が行われ、剣は廃れ、反りをもった刀への変化が始まっている。 盾はその機能が鎧へと組み込まれこともありほぼ姿を消した。
この時期、開拓農民の武装化によって武士が成立する。 武士はその成立過程からみられるように田園経営者で、小作人を戦時の兵力(郎党)としたため、兵農は分離していない。 寺や寺院は権益を守るために武装し、流通業者も自衛のために武装を行っていた。 武士のみが武装していたわけでは無く、実際はさまざまな階層のものが武器を所持している。
鎌倉幕府は武士政権であったため、武器の製作はより活発化した。 戦闘形式は騎射と一騎打ちが主であったため、個人の武威を示す豪壮雄大な大型武器と弓射が発展した。 南北朝の頃になると足軽が誕生。集団戦が行われるようになり槍が広く用いられるようになった。
室町時代を経て戦国時代へ入ると、 動員能力の増加から集団戦がより大規模になり、それに合わせて槍も長い物へと変化した。 刀は刃を下にして佩(は)く馬上で抜きやすい太刀から、刃を下にして佩く徒歩で抜きやすい打刀へと変化がはじまっている。
1543年に種子島へ火縄銃が伝わると2年後には国産化に成功し、 種子島の他、堺や国友、根来、日野で刀鍛冶の技術を応用して量産された。 戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、火薬を使用した焙烙火矢や火砲が発達した。
1588年、豊臣秀吉によって農村の武装解除を図った刀狩が行われたが徹底したものでは無いため、 実際には農村での武器の所持量のそれほど減少していない。