近世

江戸時代、支配階級である武士は二本の刀の帯刀をもってその地位を表していた。 戦国時代末期から流行の兆しを見せていた剣術が全国的に流行する。 戦場で用いる介者剣術では無く、平時の平服に対する戦闘を想定し、特に刀や刀に対する武器の操法が工夫された。 稽古には木刀・木剣や袋竹刀が用いられ、江戸中期に竹刀が考案され使用された。 薙刀は室内で使用可能な高威力の武器として見直され、女子の武芸としての専門流派も登場した。

平穏な時代が長く続いたため装飾性の強い刀が作られるようになるがこれには退廃的だとの批判も起きた。 十手に代表されるような治安目的の捕物武器が発達したのも平穏な時代ならではである。 一方、火器は徳川幕府の銃火器類に対する禁制政策により技術は停滞あるいは後退した。 民間には依然として武器が蓄えられていたが、百姓一揆に鉄砲や弓が持ち出されることがほとんど無かった。 それら強力すぎる武器の使用に関して暗黙の了解や禁忌があったと考えられている。

19世紀半ば幕末に、幕府の政治力の欠如と外国船の来航が増え国内に混乱が生じたため武器の国内需要が増し、 実戦的な日本刀が再び作られるようになった。 開国し倒幕運動が起き、日本が内戦状態に突入する。 海外からの派兵や直接介入は行われなかったが絶好の市場と見なされ、様々な武器や兵器が持ち込まれた。 特に1855年にアメリカ南北戦争の終結により、だぶついた重火器の多くが日本へ輸出された。 日本が輸入した銃は多岐にわたり、ゲベール銃、ミニエー銃、スナイドル銃、エンフィールド銃などがあり、 総数ははっきりとはしていないが、戊辰戦争終了後の時点で日本国内に50万丁の洋銃があったとする説がある。