近代

明治時代に入り、日本政府はスナイドル銃を正式装備とした。 高価ではあるが、ミニエー銃の改造によって作成できるため、数を揃えやすかった事が主な理由とされている。 火砲の国産化は早かったものの小銃の国産化は遅れ1880年の村田銃が初となる。 ボルトアクション式ライフルで他国の最新鋭小銃に匹敵する性能を備え、日清戦争に使用された。 日露戦争には三十年式歩兵銃が使用され、戦後には三八式歩兵銃が開発されたが、 実際には更新が進まず旧来の銃と新型が混在して使用された。 拳銃はさらに開発が遅れたが、1894年に二十六年式拳銃が国産拳銃として誕生し、1924年に南部十四年式拳銃が採用された。

1876年に廃刀令が発布されたこともあり刀はその地位を著しく下げたが、 翌年に発生した西南戦争などでの抜刀隊の活躍から再評価がおき、警視庁などで剣術が推奨されるようになった。 軍でも軍刀を基本装備とし日露戦争では戦果も上げた。 正式な軍装ではあったが士官以上は自弁であったため、装備する軍刀は各個人で異なり、日本刀を軍刀に拵える事も行われた。 なお明治維新前後から、外来の刀に対し従来の日本製の刀を日本刀と呼称するようになった。 西洋列強に比べ銃の設計面では同等ではあったが、鋳造や加工技術のような生産力と製造面では劣っていた。 また主な原料である鉄が乏しく輸入に依存していた。

大陸への進出を行っていた日本は1937年には日中戦争、1941年の太平洋戦争(第二次世界大戦)へと突入する。 世界的に見て万全の体勢で第二次世界大戦に突入した国は無いが、その中でも特に日本の武器は立ち後れていた。 小銃は威力のある九九式歩兵銃への更新が間に合わず、三八式歩兵銃が主流のままであった。 機関銃は性能の劣るものが少数しか配備されず、自動小銃は生産が見送られた。また弾薬の規格が絞られておらず補給そのものも乏しかったため、特に東南アジアでの作戦では弾薬不足が頻発した。